「パノプティコン」
果たしてこの言葉を聞いたことある人はどれくらいいるのだろうか…
私は高校の倫理の授業で初めて聞きましたが、最近では曲名にこの言葉が使われていたりもするので、意味は知らないけど見かけたことある~という方なら多いかもしれません
さて、言葉の内容は18世紀イギリスの哲学者であるベンサムが提唱した建築プランのことなのですが、これがただの建築プランではなく…
申し遅れました。
美術オタクのゴリアテと申します!

この「絵の題材にどう?」というカテゴリーでは作品の題材にできそうな言葉、主に倫理・哲学分野の言葉の内容を説明しています。
では導入どおり、今回はパノプティコンという言葉をなるべくシンプルに、絵にどういった取り入れ方をしていくのかなども踏まえ、解説していきましょうか。
全展望監視システム

実はパノプティコンとは監獄施設の建設プラン。
パノプティコン実装の監獄はリアルに存在してますぜ。
中央に監視塔を置いて、その周りを円形に独房が並ぶという構造の監獄施設のことをいいます。
かなり見晴らしがいい。
そのうえ、監視塔はブラインドによって囚人側からは見えない構造をしていたので、囚人たちには「いつ見られているのかわからない」「常に監視されているように感じる」といった心理がはたらきます。
これがベンサムの狙い。
ベンサムは「犯罪者を恒常的な監視下に置けば、彼らに生産的労働習慣を身につけさせられる」と主張していました。
常に見られてる気がして気が抜けない…
という状況を作り出して、囚人の生産性を上げたんでしょうね。
「見られてると集中できない」ということもありますが、あれは頭を使うような繊細な作業をしている場合であって、単純作業をするとなると見張られてる感を出すのは効率が良いらしいです。
現代版パノプティコン

パノプティコンという言葉を引用する際は、大まかではありますがこの
「見張られている意識」
という意味で用いられることが多いです。
特に日本人はこの性質が強くて、「いつ見られていてもいいように見えないところまで常に美しくいようとする」という美徳があります。
私個人は素晴らしい意識だと思っていますが、いきすぎると強迫障害や自己嫌悪の波におそわれ心を病んでしまうケースもあるでしょうね。
よく考えると、相手がこちらを見ていない時間にもこちらが勝手に作り出している第二の相手が見てる妄想をしてるだけって…なかなか間抜けな構図ですね。いや、わかるんですけどね。よくできたシステムですね。
学生の頃の掃除時間に先生が見回っていることなかったですか?「見回ってる人がいる」という意識を持つことでサボろうと思っても結局最低限はこなしてしまったという経験が山ほどあります。
承認欲求の渦巻いているSNSでも同じことが言えるでしょう。
たくさんの見知らぬ人が自分を見ることが可能な仮想空間が現代には広がっているからね。
こういうのは適度が一番ですが、それをテーマに作品を描くと、どこかに救われる人がいるかもしれません。
または自分自身の救済になったりね。
用いるなら目なんかがモチーフになりやすいでしょうね。
実際世に出ている作品でも、この意味を念頭に置いてもう一度鑑賞してみると、より味わい深さ、良い影響が受けられるかもしれません。
ではまた別の記事でお会いしましょう。
よきアートライフを!
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