【大人と子供の境界】モラトリアム人間とは何か紹介する

 

 

 

人間には大人と子供の二種類がある。

 

しかしながら、子供がそのまま大きくなったような大人、冷静でかなり大人びた子供がいるのも事実。

さて、この記事を見ているみなさんは大人と子供の違いをはっきり分けることはできますか?
ぜひここでは肉体的なものは置いておいて「精神の成熟」に焦点を合わせていただきたい。

 
今回話す題はそこが主役になるのでね。

 

 

 

はたして人間が大人になるタイミングとはいつなのでしょうか…

日本では成人式を終える…または20歳になることで法律上は“成人”として認められるので、そこを境に大人になるという考え方がメジャーですね。

 

 

 

 

多くは成人=大人という考えを持っています。

 

 

しかしここで違和感を覚えませんか?

 

 

 

20年生きた人間が集まって式をするだけで大人になれるのか?

体が成熟したとはいえ、中身も大人になったと言えるのだろうか?

と。

 

 

 

世の中には一般的に“大人”として扱われてるとはいえ、中身が子供のような人って見たことがありませんか?

 

さすがに同じ年数生きていたとしても、精神の成熟度は耐用年数のように一様に決まってるわけではありません。今までどれくらい思考したか、どういう生き方をしたかによって精神的な成熟度って個人差がありますよね。

 

今回はその精神的な成熟度でいう子供~大人の間の期間のお話をします。

 

 

 

 

大人と子供の間の存在

 

 

人間には子供が大人になるまでの期間があり、その期間にある人にレヴィンという哲学者は名前をつけました。
境界人(マージナル・マン)とね。

 

実はその境界人(マージナルマン)の延長戦、境界人が大人になるまでの猶予期間にまで名前があり、それを

モラトリアム
と呼びます。

 

また、モラトリアムに属している人のことをモラトリアム人間と呼んだりもします。

 

 

精神的な成熟とは何なのか?

 

子供~大人の期間に具体的に言何をするのかというと、
いわば自己分析自己探求です。
精神の葛藤の多い時期でしょうね。

 

エリクソンという哲学者は職業や結婚などの社会人としての義務や責任を猶予され、その間にいろいろな役割実験(自分はどのような位置に属しているのかetc.)をして、自分の可能性を試し、自分に適した生き方を探し出すための期間を心理・社会的モラトリアムとよびました。

 

 

実はモラトリアムの捉え方もなかなかに人によって違うので、その点に引っかかった方は「自分にとっての大人とは何か」を絵のテーマにしてみるのもありですね。

 

 

 

モラトリアム期がない人もいる

 

サモア島では大人と子供の中間の時期、モラトリアム期がないとされています。

マーガレット=ミードという文化人類学者は、
サモア島では子供は5歳ごろになると生活に必要な知識や技術を身に着けて大人の仲間入りをするため、青年期特有の葛藤がないことを見つけました。


早くに大人として扱われるので猶予期間もないわけです。

 

 

あとはそうですね。バンジージャンプで成人式する地域もあるようですよ。

 

 

最後に

 

 

今回は、大人と子供の境目の期間であるモラトリアムのお話をしました。

いかがだったでしょうか…

 

 

 

ない人もいるとはいえ、おそらく誰もが通る道なので、作品の題材に選びやすいのかなと思います。

私も過去作でモラトリアム人間に近いものをテーマにしたことがあります。

 

 

ちなみに、日本でいう七五三、成人式を通過儀礼(イニシエーション)というんですよ。

また、「集団に入る儀」という意味で捉えることもあり、入学式や卒業式、文化祭や体育祭まで通過儀礼と呼ぶ場合もあります。
「通過儀礼(イニシエーション)」は倫理用語でもなく現代語としても使われる場面も多いので知らなかったという方は知識として仕入れておくといいかもしれません。

 

 

 

ではまた別の記事で会いましょう!
よきアートライフを〜

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