こんにちは、ゴリアテです。

私の高校時代、美術科の三大鉄則なるものがありました。
それが
掃除!デッサン!英語!
この3ワードです。
いや~!先輩も後輩も先生も同級生もみんな口をそろえて言ってましたね!
ところで、ちょっとここでお聞きしたいのですが……なんか違和感ありません?
デッサンは言うまでもなく、絵描きとしてコミュニケーション的な意味で英語ってのはわかるじゃないですか
なぜに掃除?

当時は「絵を描く=常識を外れるわけだからせめてまともであれ!」とか「絵描きは修行僧なり」みたいな意味かな?と思っていたんですが、今になってふと「こういう意味だったのか!」と気づくことができました。
念のため最初に言っておくと、これは全く宗教的な話ではありませんぜ
今回は「絵を描く」という行為の核のお話になっていきます…
描かなくても絵は上手くなる?
これはある一定のレベルに達したらの話にはなりますが、絵は描き続けなくても上手くなります。
そう、掃除をすれば ね…

掃除は絵描きにとって大事な〇〇〇を育てる
先に結論を言います
絵描きにとって大事な〇〇〇とは…
美意識です 。
掃除をすることで、絵を描くうえで必要な美意識を育てることができるのですよ!
え、ちょっと待って?

「巨匠は散らかしてばかりじゃない?」
「絵描きって汚れとか気にしてないイメージがあるけど…?」
それも間違いではありません。
しかし、あれは彼らなりの美意識だったり、掃除はやったらできるけどやらないだけだったりします。
散らかし癖あるあるで人から見たら散らかってるように見えても自分は何がどこにあるか把握してて、それを人にいじくられるのが苦手な人っていますよね。これです。
もう一つ例えをだすなら
借りぐらしのアリエッティで好きなものを集めた自分の部屋に「あいかわらず散らかってるわね」とコメントを受けたアリエッティが「野原みたいで素敵でしょう?」と返事したシーンですね。
あれはアリエッティなりの美意識だと私は解釈しています。
実はこの美意識とは、絵を描いてる最中に「ここにもっとアクセントが欲しい」とか「全体的に表現が似すぎたかな?」など
感性を育てるトレーニングになるんです
スポーツ選手でいうところの筋トレですね!
筋トレを地道に続ければ、鍛えた部分に力はつきますよね?
描かなくても絵が上手くなるというのも、同じ話なんです。

掃除をすると、どこに埃があるのか目を光らせたり、何をどこに片付けるのか把握したり、何を捨てて何を残すのかその場で判断したり、とにかくたくさん頭を使いますよね。
最もスタンダードに美意識を高められる方法です。
実はこれ、絵を使うときの頭の使い方と同じなんです。
絵を描くときも、全体的な絵の良さを決める決め手に、今画面のどこに色を置いていて、どこにどんなタッチ(筆跡)が存在していて、全体的にどこの表現が邪魔になっているかを決め、その試行錯誤を重ねた末にいい絵が存在しています。
いわゆる「気づく」トレーニングになるわけです。
(言い換えれば『センス』)

そういった意味で、絵を描くための脳を育てるのには掃除が最適なわけです。
そう考えると
三大鉄則の最初に掃除があるのも納得できるでしょ?
私は、絵を描き始めたばかりの人が「何が良くて何が悪いのかわからない」うちに絵を描き、それを見た 絵をやっている年長者に貶されたり助言を受けてしまい、「私には絵の才能がないんだ…」と絵を描くことを楽しめなくなってしまう……
といった現場をよく見てきました。
ハッキリ言います。
それは違う!!!
何がよくて何がダメなのか気づいてない!それだけなんだ!
もちろん上手くなくても絵を描いて楽しめる人なら必要はないとは思いますが、貶されれば誰でも落ち込みますし、上手くなっていくことで自分の成長や変化を楽しむことができるので私はおすすめします。
掃除をして美意識を磨くと、部屋も片付くので一石二鳥ですよ!
掃除をして自分の美意識を磨いちゃいましょう!
それでは今日はこのへんで
よきアートライフを!
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