画家になりたい!
私は高校で深い深い美術の沼にハマって以来、「画家になろう!」と意気込んでひたすら技術を磨いていました

故に、自分は美大に行くと信じて疑いませんでした
「美大に行ってさらなる絵の研究を重ねてから、おいおい画家になる道を考えよう」
そんな楽観的な考え方をしていました
しかしながら、自分は既に美術を学んでいる身、大抵の美術ならば高校で総なめできてたわけです
要は、ひたすらデッサンをさせるような美大には進みたくありませんでした
かといって、私立の美大に行けるほど裕福でもなかったので国公立の某東京の芸大と沖縄の芸大を受けることに決めたのです。
そのために東京の美術予備校の夏期講習に行ったり、センター試験が終わったらすぐ学校を公欠にしてもらってマンスリーマンションを借り、浪人生と同じクラスで試験の日まで東京の美術予備校に朝から夜まで毎日通いつめました
「予備校生とは馴れ合うな」
東京に行く直前に言われたオッサン先生の言葉を頭に置いて、他の予備校生とは馴れ合わずに自分の美術に没頭していました

実力もしっかりついていて、予備校の講師に「いい絵だね」「この絵を買いたい」と言われてかなり嬉しかったことを覚えています
この受験期は存分に絵に没頭できて、心も体も今までにないくらい健康で、とても充実した時期でした
そして試験結果…
人生初の挫折
落ちましたね!
受けた大学両方とも、見事に落ちました
ここで「単に実力が足りなかったんじゃないの?」と思う方もいるかもしれませんが、言い訳はいくらでもできますし、美大受験の不透明性はわかる人にわかればよろしいです
ただ一つ言えるのは
実力は確かにありました
そう言いきれるほどの自信もありました
入試の時も、自分にとっての「いい絵」を悔いなく貫けたと思います
私自身、今でこそ笑ってお話しできますが、当時は深く落ち込み……
というより、放心状態でした
これからどうしようという不安が強かったです
受かると思ってたので
進路研究もしっかりして、実力も目に見えてガッツリ着いていたのでかなりショックを受けたのを覚えています
18歳、人生初の挫折というものを味わいました
フゥ〜〜〜〜〜〜いまだに苦い思い出ですな
浪人は考えなかったのか?
全く考えませんでした
経済的な理由ではなく、人生的な損失を考えて、浪人はしないと決めていました
浪人って最低でも一年以上は使いますよね
「受かる確証もないのに?」
「美大というものにそこまでの価値はあるのか?」
「『画家になる』ことをゴールにしたとき、遠回りにならないか?」
そう考えると、美大でとりたい資格もなく、就職を目指してるわけでもないので浪人する気になれなかったんですよね…
(※あくまでこれは私に向けた私一個人の判断なので、浪人自体を否定する意図はありません)
自由の刑

時間はたくさんありましたし、やることもやれることもたくさんありました
それが落ちたショックと相まって、「逆に何からすればいいのかわからない」と苦しくなっちゃいましたね
元々の思考を見失って、大学に行ってる人自体をうらめしく思う時期もありました

それからはとりあえず学生では無くなったので、身分証明証が欲しさに春には車の免許をとろうと、自動車学校に通いましたね
無事、免許はゲットしました
今思えば、夏にかけて心の療養期間になりました
少しずつ、少しずつ、自分にとって糧になるものを考えていきました
そして近所のカフェでバイトを始めました
どうにか前に進みたいと、とりあえず自分でお金を稼いでみようと考えたのでね
カフェのバイト一つでも、私にはなかなか刺激的なものでした
ゆっくり、ゆっくり、前を向きました
そして8月の暑い頃、ようやく

「美大に行かずに画家になるぞ!」
決心がつきました
同時に、
「自分という人間を育てるぞ!」
と意気込みました
画家である前に、まずしっかりと立てる人間になろう!
そう思ったんですよね
まずは自分に全く縁がなかったジャンルに挑戦して視野を広げようと考え、2020年、今年の春からビジネスの専門学校に通い始めます!
これまた小さな一歩ですが、やりたいこともやることもまだまだあります!
これからまたどんなものに出会えるのか楽しみです

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